占いの種類と歴史を見る

宿曜占星術とは何か

命術の一種

占星術というものは個人の星がどう動いているのかを読み解くものもありますが、星座占いのように全体の統計から見て占い結果を出すものもあります。ただ星座占いにしても国や地域によって見方が異なってくるので、やり方は大きく異なります。時として自国ならではのオリジナル占星術が完成するといったこともあるほどだ。元々は日本の占星術ではないものをベースとして、日本流にアレンジして誕生した占いも数多く存在しています。

日本で言うところの命術も実は幅広く、代表的なものとして星座占いや西洋占星術などが挙げられるだけで他にも様々な占いが存在している。ここでは個人的にあまり聞き覚えのない、そんな占いをピックアップしてみると、真っ先に浮かんできたのが『宿曜占星術』というものだ。

知っている人は知っているでしょうが、占いに興味が無い人からすればな何ぞやと思うものではないでしょうか。この占いは西洋占星術とはまた違った派生から誕生した、日本独自の占星術として密かに人気が高いことでも知られています。

宿曜占星術 概要

宿曜占星術とは本流で言えば西洋占星術と似ているものの、これはインドを始めとした周辺各国で親しまれている占星術となっている。原点としては西洋占星術だが、占いをする際の技法が異なることから全く別ものの占いと見ても良い。具体的なことは古代期における情報が解読されていないためなんとも言えないものの、この占星術は後に日本へと流通しているのです。少し意外かもしれませんが、実のところ西洋占星術よりも深く日本の宗教史と関係があった。

いつの頃にこの宿曜占星術が登場したのかというと、その歴史は平安時代から始まります。当時空海などを始めとした留学僧たちにより伝播され、密教の分野として広まっていたので実は西洋占星術よりも、こちらの宿曜占星術の方が古くから伝わっていたということになるのだ。ただ密教であったことから20世紀に入る頃までほとんどの人が知るはずのなかった占星術だったため、馴染みがないと言われても仕方がない。ただ一方で日本古来の仏教文化と深く関係していたため、日本文化の占いとしてもかなり古くから伝授されていた事になります。

歴史においても

この宿曜占星術は日本の歴史において活用されたとも言われており、実は調べて行ったら中々奥が深いことでも知られている。あるときは織田信長が宿曜占星術を戦に用いたとも言われれば、片や徳川幕府においては宿曜占星術の使用を禁じていたとも囁かれている。事実は定かではないが、中世日本においては陰ながら多くの人たちに活用されていた占いとなっているのです。

当時日本では宿曜占星術とは呼ばれず、『宿曜道』と呼ばれていた。ただその頃には既に京都を中心とした場所では『陰陽道』が最大勢力として名を馳せていたことでも知られています。あとから言い伝えられた占いでありながら、宿曜道はその立ち位置を陰陽道と勢力を二分するほどまでに勢いを増していたとも言われている。ただの占いと一瞥するには、もう少し敬意を払う必要があるものなのかもしれません。

肝心の占い方法として

では一番の要でもある占いの方法についてですが、生年月日を元にして27、あるいは28の宿の中から占う人を当てはめていき、性格などを判断してどのようにすれば運気を導けるかを示していきます。平たく言ってしまえば星座占いとさほど変わりありませんが、宿曜占星術においては星座ではなく月の動きを基準として占う手段となっている。ここでもあくまで統計的な考え方は応用されているものの、日本においては西洋占星術よりも馴染みがあると言って良い。占術を伝えた人も弘法大師としてその名を馳せた空海が広めたとも言われているので、日本の僧にとっては重要な位置にあるとも分析できます。

どうして表舞台に出てこなかったのか

ここまでの話をまとめると、どうして宿曜占星術が歴史の表舞台に出てこなかったのかについてが気になる所。その原因として、南北朝時代以後における貴族社会が衰退した結果だと言われている。かつては天皇家にすらその影響力を及ぼしていたが、貴族社会から武家社会へと変革していく日本の動きについていくことができず、宿曜道もその流れから没落の一途を辿ってしまったという。そして宿曜道の起源と謳われた北斗降臨院が焼け落ちしたこともあって、歴史舞台から事実上の退席をせざるを得なかった。

現在ではそんな宿曜道を参考にしつつ、新たに登場した宿曜占星術として人気を馳せているのだから、数奇な運命といえるでしょう。